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京都への想いと父

Mistyです。

わたしは、物心ついた頃から

京都が気になっていました。

高校2年生の時の修学旅行は

京都・奈良でした。

数ヵ月前から、

訪れることになっている

神社・仏閣を全て調べて

ノートにまとめる課題が

出ていました。

高校の方針が

そうだったのです。

修学旅行と言えども、

学びの機会。。

予習をしておけば、

訪れたときの感慨も深まり

そして、歴史や建造物に

対しての造詣も深まるで

あろう。。という

目的において。

わたしは、調べてまとめるのが

とても好きでした。

今と違って、全部手書き。

写真も、自分で絵にしたり

工夫しました。

先ずは奈良に訪れました。

宿泊は猿沢池の前の旅館

だったことを覚えています。

きゃ~きゃ~夜になると

大騒ぎです。

でも、不思議なことに

騒がず、なんとなく疲れて

真っ先に寝ていました。

夜中の1:00に

ふと、目を覚ますと

部屋は豆電球の灯りくらいで

みなは、寝ていました。

不思議な感覚がありました。

朝、館内一斉放送が流れて

わたしの名前が呼び出されました。

急いで先生の部屋に行くと、

父の危篤を知らされました。

親友の尚ちゃんが

でっかいわたしを

ぎゅー

何も言わず

抱き締めてくれました。

尚ちゃんは、

よく我が家に泊まりに来ていて

私の父も尚ちゃんを

かわいがってました。

尚ちゃんの

抱き締めてもらった

あの感触

今でも心身に

残っています。

あたたかくて

包まれるようで

頭が混乱していたのが

す~っと

落ち着いていくのが

わかりました。

その

エネルギーをもらって

奈良から

東京の父の入院先の

病院に向かいました。

近畿日本ツーリストの、

添乗員の

割鞘さんという男の方が

病院まで付き添ってくれました。

新幹線のなかで、割鞘さんは

あまり喋りかける感じでもなく、

適度にいい距離を

置いてくれていました。

何か

歌ってるようでした。

あとから

その曲は

♪Ticket to Ride

(涙の乗車券)

だとわかりました。

その日は天気がよくて

秋晴れの高い空に

白い雲が薄く浮いていて

新幹線の窓から見る

景色がとても綺麗だったけど

ちぎれるような

速度で進んでいるように

感じました。

割鞘さんには

とても感謝しています。

姓しかわからないので

お伝えできないのですが。

病院につくと

父のことを

知らされました。

心筋梗塞で

夜中の1:00に倒れた

とのことです。

「夜中?私が、起きた時間だ!

間違いない。時計見たもの。。」

虫の知らせでした。

もしかしたら

父があのとき、

私のそばに

いたのかもしれません。

そのまま、

父は意識が戻ること無く、

他界しました。

狭い個室で

チューブにつながれて

私は最期を看取ることが

できませんでした。

父は

東京で仕事をしていたので

私の住む群馬には週末に

帰ってきてくれました。

私の修学旅行の

お小遣いを

直接渡したくて

体調がよくないのに

無理をして帰って来たのが

良くなかったのかもしれません。

父と最期に

食べたのは

蟹玉でした。

私は、奈良に一泊して

どこの神社・仏閣を

見ることなく、

修学旅行を終えました。

まとめたノートを

活用することもなく。

加筆することもなく。

父の死で看護師を

目指すようになりました。

実際に働きだして

患者さんの最期の時の

看護をするときは

家族が共にいられる

時間を作り出すことを

心がけました。

患者さんの意識が無くても

ご家族と一緒に

清拭をしながら、

おうちでの、患者さんの

様子や思い出などを

話してもらいました。

全部、わたしが

できなかったこと。

看護師になって

そういう関わりを

大事にできることは

父のお陰だなあ、と

しみじみ思いました。

やり残した

マイ修学旅行は、

大学に入ってから

始めました。

京都✨

京都✨

京都✨

時々奈良✨

青春18キップで行きました。

しばらくは、あの

修学旅行ノートを持って

歩いていました。

父は私と

神社・仏閣巡りを

したかったようでした。

あと、私が運転する

車の助手席に

乗りたがっていました。

自分の車を運転する時、

助手席に父を乗せてるような

そんな気になるときが

あります。

そんなことを

思い出していました。

父のお墓は

四谷にあるので、

久しぶりにお墓参りに

行きました。

四谷であるという奇遇もあり、

お墓参りも行けました。

桜咲くお寺

新宿駅から

四ッ谷駅まで

結局歩いてしまいました。

東京にいると

歩くなあ(笑)

京都への想いは

父の死を通して

こんな風に

どんどん強くなっていったのです。

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